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久しぶりに北方謙三の古い作品を読んだ。
それは「傷痕」という題名で、舞台は終戦直後の東京だ。
実は北方謙三作品というのは、当たり外れがあると思っている。
何度も読みたくなるような傑作も多い一方、全体につまらない作品や、最初はよくても途中からストーリーが破綻していたり、ありえない展開に突き進むものも多い。
私が北方小説を読むようになったきっかけは、20代の初めのころよく読んでいたファッション雑誌、「ホットドッグプレス」で、彼の人生相談のコーナーを見てからだ。
女性問題などで悩む青少年に対し、「女なんて大したもんじゃねぇ、ソープへ行ってみろ、とびきりの美人がお前に奉仕するようにセックスしてくれるぞ」と、バッサリ切り捨てるのである。
いったいこの人は、どういう小説を書くのだろう、と興味を持ち、以来40作品くらい読んだ。
今回読んだ「傷痕」だが、初めて読んだのは10年以上前のような気がする。
それから3回くらい読み直した。
当たり外れのある北方作品の中で、これは確実に当たり、それも大当たりといっていいだろう。
戦災孤児の13歳の少年が主人公で、似た年頃の少年たちが、懸命に戦後の混乱の中を生き抜こうとする物語である。
少年たちが主人公とはいえ、決して子供向けではない。
血なまぐさい、大人の小説だ。
生きるためなら何でもやる。
そうでなければ、浮浪児狩り、平気で子供を騙す大人、子供にも容赦のないヤクザ、その他、空腹と未来への不安に勝てないのだ。
政府がなんとかしてくれる、とか、救援部隊がきてくれる、とか、そういう他人への期待など、最初からない。
まずは、自分に出来ることからはじめる。
自分の身は自分で守る。
そして、自分の食い扶持は自分で何とかする。
しかし、誰かの支配下には入らない。
「人間ってやつはさ、自由ってものが必要なんだ。たとえ死んでも、それだけは失いたくない、と思うことがある」
彼らは、年齢だけでいえば中学生くらいだが、立派な男たちなのだ。
この物語には、戦後の混乱期の東京の様子が詳細に描かれている。
北方氏はいわゆる団塊世代の人なので、この時代を体験したとはいえないのだが、まるで今見てきたかのようなリアリティがあり、その辺りの空気感も面白さの一つだと思う。
この物語の後、主人公の高木良文は刑事となり、老犬シリーズ他、いろいろな北方作品に登場することになる。
これを読みと、現在我々が、三食食べて、夜は暖かい布団で寝る、たったそれだけのことが、どれだけ幸せなのか、思い知らされるのだった。
皆さんはミステリー小説を読むとき、その推理性やトリックなどを自分で考察して考えたりするほうですか?
私は深くは考えない。
そりゃ、読んでいて疑問に思ったことを少しは考えたりするが、わざわざいったんページを閉じて考えに耽ったり、ページを逆戻りして名探偵気取りをすることはない。
どちらかというと、好きな作家がミステリー作家だった、というだけかもしれず、その作家が普通に恋愛小説を書いたり、人間ドラマを描いたりしても、それが小説として優れていれば、それは自分にとって名作になりうる。
最近読んだのは東野圭吾の古い作品「卒業」だ。
人気の加賀シリーズで、その第一作目となる。
この作品は密室殺人や複雑なトリックなど、非常に推理性の高い作品で、ミステリーにその手のものを求める人には好評だと思う。
私の場合、とくに考えることもなく80年代後半の大学生活を舞台にした時代性に共感しながら読み進めていったのだが。
日本におけるミステリー小説の第一人者であり、その普及に大きな貢献をし、今なお多くの新規読者がいる江戸川乱歩の作品をひとつ紹介しよう。
「空気男」という大正15年1月から「写真報知」という雑誌で連載されたもので、途中で雑誌自体が廃刊となり、そのまま未完に終わった作品だ。
内容は、北村五郎と柴野金十という二人の青年が探偵小説を書いてデビューし、そこでいろいろな実験的試み(というより遊び)を行う、というもの。
この二人は、その容姿が似ているばかりでなく、ものの好みや思想まで似ているということで意気投合するのだが、その趣味格好というのがややアブノーマルで、今でいうオタクっぽい部分があったようだ。
そして何よりこの二人は「大の探偵小説好き」だった。
彼らは探偵小説に描かれている犯罪というものに興味があり、いかにして完全犯罪を成し遂げるか、とか、あの探偵のこの推理はちょっとおかしい、とかを議論するのである。
ときには一方が新刊の探偵小説を途中まで朗読し、もう一人が犯人を当てたり、トリックの謎を解いたりする。
またあるときは、自らがトリックを考え出し、それの謎解きゲームを行ったりする。
またまたあるときは、一人が一枚の葉書を部屋のどこかに隠し、相方がわずかな痕跡を頼りにそれを探し出す、という子供だましみたいな遊戯をするのだった。
そして、そうやって煮詰まったアイデアを探偵小説という形で表現し、出版するようになるのである。
本来小説というのは文系であるのだが、彼らはどちらかというと理数系の頭でそれを楽しみ、文学としてではなく、パズルのような感覚で接しているのだった。
おそらく作者の乱歩自身がそういう感覚だったのだろう。
そのわりに、乱歩作品というのは、推理やトリックといった部分は大したことがないと思う。
それよりも、怪奇幻想なムードを的確に模写した文学性、わかりやすく丁寧な文章力、といった文系要素のほうに魅力を感じるのは面白いと思う。
今回紹介した「空気男」は、このまま続きが作られることなく終了する。
これよりはるか後の作品「ペテン師と空気男」は別の内容なので、お間違いのないよう。
約10年ぶりにbeatleg誌を買った。
この4月号はマイケル・シェンカー特集ということで、今回久しぶりに購入したのだが、相変わらず濃い内容で満足した。
小さな雑誌だが、写真や広告が少なく、小さな文字でビッシリと記事が書かれているのも昔と変わらない。
ブートレグという、ある意味「動かぬ証拠」から、当時の各アーティストの様子を検証するという、ドキュメンタリータッチの音楽誌だ。
私は2001年~2002年頃の間、この雑誌を毎回買っていた。
そのきっかけは2001年キッスのフェアウェルツアーを見て、それについての記事を読みたいと思ったからだ。
いろいろ音楽誌を探していたのだが、定番のバーン誌は毒も華もないありきたりな内容だったのに対し、このビートレグ誌は非常に細かく連日の詳細が記されており、その内容の濃さに購入を決めた。
そして禁断のブートレグの世界を知ってしまうのである。
まずは、自分の見た3月18日名古屋レインボーホールのライブCDの存在を知り、何としても手に入れたいと思った私は、千種区のマンションの一室みたいな店で初ブート入手に成功する。
その後、私はずいぶんブートCDを買ったと思う。
情報収集のため、ビートレグ誌のバックナンバーも2000年以降のものは入手した。
さらに、ゴールドワックスという別のブート雑誌も読むようになり、こちらは定期購読の手続きをし、毎月発売日に家に送られてくるようにした。(こちらは、その後1年ちょっとで廃刊になった)
結局、ゴールドワックス廃刊と同時くらいに、値段の高さ、音質の悪さなどで目を覚まし、この手のものはあまり買わなくなった。
また、キング・クリムゾンをはじめとするオフィシャル・ブートレグの存在(実際、これによりクリムゾン関連のブートは激減した)も大きいと思う。
さらにyoutubeの普及により、ほぼブートCD、ブートDVDの役割は終わった気がするのだった。
それでも世の中にはコレクターという人も存在し、聴くことよりも集めることを主眼においた彼らは、今もせっせとブート収集を続けているようだ。
ビートレグ2001年4月号の三田村善衛氏のコラム「70年代懐古録」にコレクターの心情みたいなものが書かれている。
以下抜粋してみよう。
・たとえば1970~75年のレッド・ツェッペリンの全公演ブートCD-R BOXSETみたいなものがもしも出たら、ほとんどの人はローンでそれを買い求めるような気がする。
・僕の場合、せめて70年代だけでもすべての音源をそろえてから死にたいと思っている。
・よい音の、よい出来のブートだけを厳選して手元にそろえる、という賢いコレクターもいらっしゃるようだが、いや、コレクターと名のるからには、やっぱり音のさほどよくないものも、すべてそろえたいといのが正直な気持ちなのではないか。
私はコレクターではないので、どれも同意できない。
ツェッペリンは好きだが、70年~75年全公演ブートボックス(300枚組くらい?)なんていらないし、まったく意味がない。
それでも、「全初来日公演18枚組」みたいなボックスセットが発売されているところを見ると、本当に全公演をそろえたいと思っている人々は存在するようだ。
ブートCDを買う買わないは別として、ビートレグ誌のマニアックな視点によるロック・ドキュメントは読みものとして面白い。
今月号もマイケル・シェンカーをはじめ、ブラック・サバス、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンなど興味深い記事が満載だ。
そして、また読み始めてみようかな、なんて思ったりするのだった。
レッド・ツェッペリン72年武道館ライブ。
当時としては極上の部類に入るオーディエンス録音。
ブートCDで買えば6000円~8000円くらいだろう(ツェッペリンはとくに高価なのだ)。
久しぶりに奥田英朗を読んだ。
昨年の「家日和」以来だから約1年ぶりだ。
奥田英朗といえば、ドクター伊良部シリーズなどのコメディものや、近日映画化されるガールなど軽い短編のイメージが強いが、今回は久々のシリアスなサスペンスもの。
名作といわれる「最悪」や「邪魔」が読み応えたっぷりの傑作だったので、読む前から期待が高まる。
時代は昭和39年。
オリンピックの開催を控えた東京である。
昭和の象徴ともいうべきこの一大イベントを、警察、マスコミ、一般のOL、肉体労働者、そしてテロリストの視線から見据えたもので、まだまだ貧富の格差が激しかったこの時代の裏側を垣間見ることが出来た。
ここで面白いのは、表側の人物(警察、マスコミ、OL)の時系列と、犯人側の時系列が異なっていることだ。
事件が発生し(まず結果があり)、それから犯人側の視点に映る(種明かしが行われる)が繰り返され、少しずつ時系列が縮まっていき、やがて一致する。
そしてこれが一番大事なところなのだが、読者は本来凶悪犯であるテロリスト側を応援してしまうように物語が進行していくのである。
この辺りの感覚はいかにも奥田氏らしいところで、他にもビートルズ、左翼学生、格差社会など、奥田ワールド満載だ。
さらに登場人物、皆個性的で味のある人物ばかりなのだが、とくにスリ師の村田なんて本当に憎めない人物像に仕上がっている。
これだけハードな内容なのに、ビートルズファンのOLの話になると、とたんにコメディタッチが顔を出すのも奥田作品の味わい深さが出ている気がする。
また、殺人シーンは一回だけ登場するが、ここも非常にくだけた雰囲気で、本来最もシリアスになるところが、そうならないのも面白い。
文庫本で上下巻、少し長いがはまるといっきに読めるオススメの作品。
以前から、前原一誠という人物に興味があったので、奈良本辰也著書「あゝ東方に道なきか:評伝前原一誠」を読みました。
幕末から明治にかけて活躍した武士、政治家であり、維新十傑にも選ばれている人物です。
といっても、他の十傑の方たち、例えば西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允と比べると地味で、実際何をやった人なのかわからない人も多いでしょう。
どちらかというと、萩の乱の首謀者としてのほうが有名かもしれません。
私がこの人物に興味をもったきっかけは、司馬遼太郎著書「翔ぶが如く」を読んでからです。
どうも、この人物は「いい人」っぽいのです。
私は今年の初め「いい人になりたい」宣言をしましたが、それと同時に「いい人」というのは、愚鈍でマヌケである場合が多々あり、決して立派な生き方ではないと書きました。
前原は良くも悪くも「いい人」だった・・・。
司馬遼太郎は彼についてかなりのページを割いて、その人物像から萩の乱にいたるまでの過程を書いています。
(以下抜粋)
かれが政治というおそるべき世界に入るには、質朴すぎ善良すぎたということもあるであろう。
さらには、かれはさほどの資質ももたなかったのに、時勢が、かれの実像を狂わせた。
その実像からかけ離れて大きな虚像が、世間における前原像になってしまい、不平士族たちが「吉田松陰の愛弟子、前兵部大輔、参議」という虚像のほうをかつぎ、かれがそこからどうのがれようとも、かれの周囲に集まっている人々が許さなかったという事情もある
それに対して、奈良本辰也氏の見解は、
前原一誠は、西郷隆盛のような大人物と比べると、いささか小さいような気がする。
しかし、その考え方の潔癖性においては、西郷よりもより潔癖である。彼は若い頃、吉田松陰の門下として、松蔭からも大きく評価されたものである。
そして庶民の側にたつ仁政というものを推し進めた結果、中央政府と対立することになり、
前原一誠が実現しようとしたのも東方の道(東洋の道徳、つまり仁政)であった。
(中略)
一誠の悲願はそれを東京に出て、闕下に奉上することであった。(中略)そして政府の秕政を天皇の前で弾劾する、たとえ獄中であろうとそれをしなければならないと思った。
簡単に言えば、司馬氏は、
「前原は、時代に流されて名前だけが一人歩きし、結果として反乱軍の首謀者、処刑という結末をむかえた」
としているのに対して、奈良本氏は、
「庶民に優しい前原は、その窮状を訴えるべく強い意志で政府に立ち向かった」、と解釈しています。
さらに
「現代の政治に最も欠けているのは一誠のような考え方である」と、現代の政治への批判も書いています。
私の素直な感想を書きます。
やはり前原一誠という人物はよくもわるくも「いい人」で、それ以上でも以下でもなかったように思います。
明治初年という時代の政治家として、全体的に甘すぎ、当時の国際情勢なども視野に入っていないような気がします。
きれい事だけではすまなかったであろう激動の時代に、あまりに理想主義すぎ、潔癖すぎては、事が進まず、成し遂げることも出来なかったに違いありません。
ただし、もし彼が現代社会の政治家だった場合、話が違います。
東北大震災、原発事故など、問題が山積みとなった今、前原ならどのような政治を行うでしょう?
きっと、彼ならそこに住む人々のことを第一に考えた政策を、スピードをもってこなしているのではないでしょうか?
汚職が当たり前だった明治初期にあっても、常に潔癖であり、悪いことは悪い、とはっきり言える前原一誠は、生まれてきた時代が悪かったのでしょうね。
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