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洋楽名盤紹介と日々の雑談を書いてます
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前の日曜日、雨降る中、伊勢へ行ってきたので、レポートしよう。

行こうと思ったきっかけは、テレビで豆腐料理の店が紹介されていて行きたくなったことと、名物である赤福のカキ氷が食べたかったからだ。

きちんとした店で豆腐を食べようとすれば、けっこうなお値段設定になっていることが多く、ちょっと敷居が高い。
四日市の「花ゆう膳」という豆腐懐石の店があって、2回ほど訪れたことがあるが、3,000円~5,000円くらいしたと思う。
京都の南禅寺の近くの湯豆腐の店でも、それくらいの値段だったはずだ。
それに比べて伊勢にある、その名も「とうふや」は、かなりリーズナブルな値段設定だった。

古民家のような建物の中に入り、座敷にあがると、そこはすでにレトロな雰囲気満載だ。
今回注文した「寄せ豆腐御膳」は1,200円。
ふんわりしたザル豆腐を、まずは何もつけずそのままいただく。
なめらかな舌触りで、豆腐本来の味が堪能できる。
続いて、あら塩を少しつけていただくのだが、そうすることにより豆腐の甘味が感じられるから不思議だ。
そして、改めて、専用のつけダレにネギとショウガを添えて口にいれる。
思わず「美味しい」と口に出てしまう、絶妙な味わいだった。





ちょうどこの日は「まねき猫祭」が開催されており、いろいろな店でまねき猫が売られていた。
まねき猫職人がつくる、商品というより作品の展示会もあり、表情豊かなまねき猫を見学する。
値段はさすがに高く、中には200万円以上するものもあった。



この日は雨ということもあり、かなり肌寒く、とてもカキ氷を食べたい気分ではなかったので、赤福氷は断念。
かわりに「はいからさん」という洋館にはいる。
ここは桑名にある明治の洋館「六華苑」をモデルに作られた店で、1階が真珠やカメヤマローソクの販売店、2階が喫茶店だ。
ここで江戸時代の街並みを再現したというおかげ横丁の景色を見ながら、コーヒーとチーズケーキを楽しんだ。







私の職場には、伊勢から通勤している人も多いので、近いといえば近い。
しかし、いざ家から伊勢へ行こうすれば、1時間半~2時間くらいかかるので、そう頻繁にはいけない。
それでも、少なくとも年に1回くらいは行きたいものだ。

 

連日、中国での反日デモの様子がテレビで報道されている。

領土問題というのは非常に難しいもので、容易に解決できるものではない。
日本人は当たり前のように、尖閣諸島は日本の領土だと信じ、信じるだけの証拠があり(しかし、その証拠を実際に見た人はどれだけいるのか謎だが)、日本政府も公式に日本の領土だとしている。
それは当たり前すぎて、領土問題すら存在しない、と。
同じことは中国にも言える。
中国人は当たり前のように、尖閣諸島は中国の領土だと信じ、信じるだけの証拠があり(おそらく、その証拠を実際に見た人はどれだけいるのか謎だが)、中国政府も公式に中国の領土だとしている。
そして、この問題には妥協案がない。
なぜなら、両者少しでも妥協しようものなら、たちまち「弱腰だ」「売国奴だ」「反日(反中)だ」と言われ、その人の政治生命が絶たれるのである。

つまりこれは水掛け論にしかならないのである。
それを、石原都知事による買取発言から、国が買い取ることになり、中国側激怒(←今ココ)

この件について中国のSNSである51.comを見てみると、ヒートアップしている人もいる反面、冷めた人も多いことがわかった。
「また愛国バカが世界に中国の恥をさらしている」
「あいつら、共産党政府に操られていることに気がついていないなんて哀れ」
「バカどものせいで日本旅行できなくなったじゃないか、どうしてくれるんだ」

結局どこの国でも、右寄りの連中のすることは、良識ある市民から煙たがられているのだ。

おそらく、もう少し時間が経てば、デモも収まり、普通に国交が正常化するだろう。
なぜなら、ほとんどの人にとって、尖閣諸島なんてどうでもいいことだからだ。

多くの人にとって、
尖閣諸島より、家族のほうが大事で、
尖閣諸島より、愛する恋人のほうが大事で、
尖閣諸島より、仕事や会社のほうが大事で、
尖閣諸島より、自分のマイホームのほうが大事で、
尖閣諸島より、震災復興のほうが大事で、
尖閣諸島より、もうすぐ生まれるわが子のほうが大事で、
尖閣諸島より、長年つきあいある親友のほうが大事であり、

尖閣諸島より、借金返せないことのほうが問題で、
尖閣諸島より、仕事でミスして、どうしようもないことのほうが問題で、
尖閣諸島より、生活苦でお金がないことのほうが問題で、
尖閣諸島より、介護疲れがたまってウツなことが問題で、
尖閣諸島より、ひきこもりの家族が問題で、
尖閣諸島より、オレオレ詐欺にひっかかったことのほうが問題で、
尖閣諸島より、近所付き合いが上手くいかないことのほうが問題なのだ。

そして、
尖閣諸島より、来月結婚することのほうが嬉しく、
尖閣諸島より、新しい恋人が出来たことのほうが嬉しく、
尖閣諸島より、会社で昇進することのほうが嬉しく、
尖閣諸島より、妊娠したことのほうが嬉しく、
尖閣諸島より、前から欲しかったものが手に入ることのほうが嬉しく、
尖閣諸島より、料理が上手く作れるようになったことのほうが嬉しく、
尖閣諸島より、金婚式を迎えることのほうが嬉しく、
尖閣諸島より、家族や友人が平和で健康に暮らしていけることのほうが幸せなのだ。

~目の前のあなたのほうが、震えるほど大事件さ、ボクにとっては~

http://www.youtube.com/watch?v=PfyQw7fG6-E

最近、俳優の高倉健さんが新しい映画の紹介でテレビに出ていたのを見た。
たしか「不器用な男が語る」みたいな見出しがついていた気がする。

高倉健さんといえば「自分、不器用ですから」みたいなセリフが有名だが、本当にそうなのだろうか?
ここでいう不器用というのは、手先のことではなく、不器用な生き方という意味だ。
周りに流されず自分の信じる道を進む、もっとラクで合理的な生き方もあるのに、あえてイバラの道を進んでしまう、自分であるがために。

実は高倉健主演の映画って、昔の任侠ものを少し見ただけで、あまり知らない。
いや、「幸福の黄色いハンカチ」も見たことあった気もする。
どっちにしてもあまり覚えていないのだが、たぶん彼の地の性格と役柄があったのだろう。
そして、その役を精一杯演じた。
それだけでなく、監督やスタッフ、他の俳優にも気を使い、常に自分を犠牲にして周りに気を配った。
おそらく並の俳優なら遊んでいたであろう時間も、役作りに精を出し、肉体を鍛え、勉強にも励んだに違いない。
つまりこの人は、当たり役というチャンスを逃さず、自分を磨き、そのための努力を惜しまなかったんだと思う。
そしてここが大事なところだが、彼は努力の方向性が間違っていなかったのだ。
本当に不器用な人間だとこうはいかない。

日本では、あまりに合理的すぎる生き方や、世渡りが上手すぎる人は、少し胡散臭いように思われる。
この人についていけば儲けられる、と思っても、最後に切り捨てられるかもしれない、と感じるからだろう。
それより、不器用でも義理堅い人のほうが、立派だとされる。
ただし、不器用であっても、その生き方が認められ、それなりに成功している人間に限るだろう。

よく映画やドラマで不器用な人間が演じられることがある。
たいていそれは、不器用であるがために、愛情表現が一方的だったり、周りに理解されず結局は破滅の道を進んでしまう、というものだ。
そして不器用ゆえの滅びの美学があったりする。
歴史上の人物でいえば、赤穂浪士や土方歳三なんかがそうかもしれない。

高倉健さんは、努力の方向性が間違っていなかったため、日本を代表する俳優の一人になった。
人は彼を不器用な人間だというが、実はけっこう器用で上手に生きているんじゃないだろうか(いい意味で)?

 

先週24時間テレビが放送されていた。
私はたまにチラっと見るくらいだったが、毎年必ず放送されているということは、視聴率がいいのだろう。
そして、テレビ局としては、確実に儲かるのだろう。

この番組は昔から批判が多い。
おそらく始まった当初から批判する人が多かったのだろうが、ネットの時代になり、視聴者の意見がダイレクトに伝わるようになると、出るわ出るわ、批判の嵐。
今回、ツイッターで「24時間テレビ 偽善」で検索すると、それこそ日本国民全員がそう思ってるのではないか?というくらいヒットした。

それでも、2億数千万円の寄付金を集めたという。
偽善だ、障害者をネタにしている、寄付金よりギャラのほうが高い、感動の押し売り、とか言われながらも、これだけの金額を集めた。
もちろんこれにもビジネスが絡み、当たり前だがテレビ局をはじめ、これで儲ける連中も存在する。
しかし、この番組に共感し、感動し、人助けをしたい、誰かの役に立ちたい、と思う人がいて、結果を出した。

パソコンの前で批判だけしている人は、純粋に寄付をしている人を傷つけていることに気がつかなければいけない。
批判家たちは何かをしたか?
エアコンの効いた部屋で、「24時間テレビ?くだらない、あんな偽善番組、さっさと放送中止にしろよ」と文句を言ってるだけだ。

批判家たちに言わせると、24時間テレビに感動しているような人間は、愚民、B層、平和ボケ、頭の中お花畑、らしい。
しかし、私は思う。
もし彼らが理想とするような賢い国民ばかりになって、寄付金が1円も集まらなかったら?
そんな国は心底イヤだ。

今日のタイトル「やらない善よりやる偽善」について。

(ヤフー知恵袋より)

例えば、電車の中でお年寄りが座る席が無いので立っていたとします。
A君はこう思いました「かわいそうだなぁ。座れるといいのになぁ。こういう場合は席を譲ってあげるべきなんだろうなぁ」・・・そう思いながらも何の行動も起さないA君。
一方、B君はこう思いました。「ババアがつらい思いをしようが俺は知ったことじゃないが、ここで席を譲らなければ、俺は周りの人から冷たいやつだと思われるだろう。俺はいい人に見られたいので、しょうがないから席を譲ってやるか」・・・そうして席を譲るB君。
明らかにB君は偽善者です。しかしお年寄りにとっては、A君のような人ばかりが乗っている電車よりも、B君のような人ばかりが乗っている電車に乗り合わせてしまった方が助かります。

ここでいうA君は善なのだろうか?

ではもう一人C君というのを足してみよう。
C君はこう思いました「なんだこのババア、誰が席なんか譲ってやるもんか」・・・と何もしないC君。

心は優しいが行動できないA君と、悪意に満ちたC君は、お年寄りから見たら同じではないだろうか。
というわけで、「やらない善は、悪と同じ」つまり、「やらない善などない」が正解なのかもしれない。

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