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お互いが自国の領土だと主張するから、このままでは永遠に平行線のままでしょう。
例えば尖閣諸島。
今、日中両国で、デモが行われ反中、反日をあおっています。
両国の政治家は、政治的に相手の主張を少しも認めるわけにはいきません。
お互いが、ほとぼりが冷めるのを待っているのが現状です。
だったら国際司法裁判所に判断を委ねればいい、と思うのですが、中国側はそれを拒否するでしょう。
そこには台湾問題も含まれているから、下手すると台湾も尖閣諸島も失ってしまいます。
また、日本側も、仮令日本の領土だと認められても、中国との関係が悪化するのを恐れて、国際司法裁判所に訴えることはないだろうと言われます。
強硬派の人もいます。
元航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄氏がその代表的な存在ですが、彼が会長を務める「頑張れ!日本」が、反中デモの中心となっています。
私は平和を愛する人間です。
政治家のメンツのために、両国がいがみ合うのは良くないと思ってます。
どれくらいの日本人(あるいは中国人)が、「尖閣諸島はなんとしても自国の領土でないと困る」と考えてますか?
今回の問題が発生するまで、そんなこと頭になかったんじゃないですか?
こんなこという私は非国民でしょうか?
私は誰よりも日本が好きで、国際的に日本人が尊敬されるため、海外の人と仲良くし、日本のイメージアップに努めてるつもりですが。
おはようございます、今日の話題はワビサビです。
よく苔むした日本庭園などで「わび・さびが感じられる」などと表現されたりしますが、私もようやくそういうのわかるようになった気がします。
ただ、それは「わび・さび」ではなく、この中の一つ、「さび」のほうかもしれません。
物が古くなり、経年変化による劣化に美を感じるようなことですが、「味わいがある」などと表現されることもあります。
ここでいう「さび」というは、いわゆる「アンティーク」「ヴィンテージ」と似てはいるものの、少しニュアンスが違う気もします。
ギターでも、数十年経つと塗装が剥げ、各種ノブが黄ばんだり、木材の色彩が濃くなったりして、独特の変化が出てきますが、見る人によっては、そこにカッコ良さを感じるわけです。
ただ、「カッコいい」という観念は「さび」にはないと思うので、やはり違うように思います。
まだ、家屋などで、数十年、あるいは100年以上経って、新築にはない重圧感が醸し出されてくるようなる、静かに、確実にそこに存在している…のほうが「さび」な感覚?
いや、違いますね、現役感があるのは「さび」ではない気がします。
廃墟、廃線、廃道など、かつてはそこに存在したものが、今まさに朽ち果てようとしている、そこに歴史の重みと滅びの美学を感じる…ことのほうが「さび」の一種かもしれません。
誰もおらず、物言わず、静かに、朽ちるにまかせる、そしていつかは自然に帰る、役目を終えて余生を過ごす「それ」に「さび」を感じる…という感覚。
次は「わび」。
簡単にいえば「シンプル・イズ・ベスト」ですが、「清貧」と言ったほうが適切な気がします。
具体的にはどういうことなのか?
質素な部屋に住み、質素な食事をし、物質的な贅沢はしない。
簡潔で清貧な生活に、さわやかな風が通り抜けるような清さと美を感じること…かな?
茶道の経験がなく、特に俳句を学んだこともないので、本当のところはわかってないのかもしれません。
「わび・さび」と人くくりで言う場合、「わび」の清貧さと「さび」の古さ、静けさがミックスされた、心に染み入るような味わい、と解釈したいと思います。
この男、学生時代はスティーブ・ハリスばりの硬質なベースをバリバリ弾いてた人物で、一度は一緒にバンドをやりたいと思ったものです。
さて、私は過去、3回ベーシストとしてバンドに参加していたことがあります。
1つ目は、MSGやレインボーなどをやるハード・ロック・バンド
2つ目は、レベッカ
3つ目は、フリーやジャニスなどブルース・ロック
とは言うものの、私はギタリストが片手間にやる「なんちゃってベース」で、本業の人に言わせれば「その程度で弾けたつもりになってもらっても困る」レベルです。
指弾きにチャレンジするも、水ぶくれが出来て痛くて断念するというへタレッぷり。
ピックで弾いても安定しないピッキング、ノリに欠けるリズム、ただただ低音部を埋めるのみでした。
話は旧友に戻ります。
今も音楽は積極的に聴くものの、楽器は一切やってないとのこと。
毎月レンタル店で、その月に発売された洋楽の新譜CDを5枚ほど借りて聴くという、アクティブなリスナーなのです。
今日の話題に出たのは、学生時代に私と一緒にバンドをやってた、やはりベース担当の友人の話。
この男、ベーシストなのに好きなアーティストはマイケル・シェンカーという人で、たしかにオリジナル曲におけるベースラインにマイケル節を感じました。
某企業の管理職になったものの、精神的な病になり、毎日アルコールと睡眠薬が手放せないとのこと。
家では何もやる気がおこらず、酒におぼれる毎日。
これはマズイですね。
あとでヤツに電話しようか?というとやめたほうがいい、と。
下手に励ましたりするのは逆効果になるそうですね。
いろいろ難しい問題ですが、解決に向けて考えていきたいものです。
ハイ、と答えたあなたは、戦国マニア、あるいは、三重県津市か伊賀市の人でしょう。
津市や伊賀市の人なら、老若男女誰もが知る名前で、「お城を建てた人」として有名なのです。
しかし、津市の人は、伊賀の城を建てたのも藤堂高虎だということを知らず、伊賀の人は、津の城を建てたのも彼だということを知りません。
いや、それどころか、いつの時代の人間で、どういう活躍をしたのかを知ってる人は、一部の戦国マニアだけという状態。
私が想像するに、津(伊賀)に生まれて、そこにお城を建てたって思ってる人も多い気がします。
藤堂高虎に関して、ここで詳しく説明はしません。
興味のある人は、こちらで。
あるいは火坂雅志「虎の城」なんかを読んでみるのも面白いと思います。
地元の人間でもこの程度にしか知られていない人物ですが、津市がNHK大河ドラマに是非、藤堂高虎を主人公に使ってほしいと誘致運動を行っています。
伊賀市は、藤堂よりもより知名度の高い、伊賀流忍者や松尾芭蕉を持ち上げることに一生懸命なので、あまり大河誘致には積極的ではないようですが。
今年の大河ドラマは幕末のヒーロー坂本龍馬、それをトップスター福山雅治が演じていても視聴率が思わしくありません。
いくら戦国ブームでも、藤堂高虎はないでしょうね。
生まれたときを1回目の夏とすれば、今日で44回目の夏を迎えることになりました。
本格的に中年となった昨今ですが、少しは成長しているのでしょうか?
年齢を重ねれば重ねるほど、人はそれまでの人生の年輪を刻み、魅力を増していかなければいけません。
しかし、実際には20代の頃のほうが輝いていた、とか、そういう思いもあったりします。
さて、私は酒もタバコもギャンブルもやりませんが、これを人に言うと、「金が余って仕方ないでしょう」と言われることがあります。
「仕方がない」という言葉、そこには幾分残念な意味が含まれていますが、金がありすぎて困ってる人ってどれくらいいるのでしょう?
おそらく99パーセント以上の人は、もっともっとお金が欲しいと思ってるはずです。
もちろん私も。
「金が余って仕方がない」なんて思うはずがありません。
それにしても、です。
金の使い道=酒、タバコ、ギャンブルという発想の貧困さはいかがなものか?
そこには趣味性というものは存在せず、それによってより豊かな感性を発達させる、とか、人としての成長を促すという発想もありません。
つまり、人に向かって
「金が余って仕方がないでしょう」などという言葉の裏側には、
「あなたは金の使い道を知らない」
あるいは
「あなたは何が楽しみで生きているのか」
という意味が含まれてるように思います。
自分の物差しでしか人を判断出来ない、その物差しは、100均で売ってる15cm程度もないのかもしれません。
幸いにして40年以上、大きな事故、病気もなく、今も健康に生きています。
私には43年に渡る人生経験が蓄積されており、それは今後の人生にも役立つことでしょう。
そして、来年また夏を迎えるころ、今からの1年の経験がプラスされて、よりいっそう魅力が増えていなくてはなりません。
自分の物差し、年輪、年ともにどんどん大きく延ばしていきたいものですね。
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