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洋楽名盤紹介と日々の雑談を書いてます
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毎晩、仕事が終わると、飲んでから帰る、という人がいる。
私にはまったく理解出来ないタイプだが、けっこうそういう人は多い。

一つは、妻が「主人在宅ストレス症候群」である場合だ。
夫が家にいると、ストレスをためてしまうらしい。
おそらく、こういう夫というのは、料理しない、掃除をしない、子供の世話をしない、などしないづくしだったり、脱いだら脱ぎっぱなし、食べたら食べっぱなし、物を出したら出しっぱなしの人なんだろうと思う。
妻としては、家に大きな子供がいるのと同じで、いないほうがマシなのかもしれない。
そのため、夫が「家に帰りたくない症候群」に陥る。
結局、家に自分の居場所がないんだろう。
妻の態度が冷たい、子供とどう接すればいいかわからない、などで、家にいるより飲み屋にいるほうが気が楽なのだ。

毎晩とはいわなくとも、週末はいつも外で飲んで朝帰り、という週末だけ家に帰りたくない人もいる。
そんなに自分の家の居心地が悪いのだろうか。

誰が悪いって、自分が悪いに決まっている。
夫は金さえ入れれば、後は何をしようが勝手なんだ、家のことは妻がするのが当然、夫は仕事で疲れてるんだ、文句をいうな。
これでは夫は、家族にとってのATMで、家にいないほうがマシと思われて当然だろう。

お笑い芸人の鉄拳さんが作ったパラパラ漫画が話題になっている。
この漫画に出てくる男のように、酒を飲んで妻に当たったり、時には浮気をしても、最後に妻は許してくれるのだろうか?
私からすれば、ずいぶん勝手な夫だな、と感じたわけだが。

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メンバーチェンジの激しいバンドの場合、その元メンバーが集まって違うバンドを作ることがある。
時として、元のバンド名の看板を掲げる本家よりも、本物っぽいバンドも存在して面白い。
今日はそういう、似て非なるバンドを紹介しよう。

「イエスとABWH」

プログレッシブ・ロックの名盤を次々と発表し、巨大なセールスと大規模なツアーを行う大物バンドに成長したイエスだが、70年代後半には大幅にメンバーが入れ替わり、ついには解散する。
しかし、すぐに新たなメンバーで再結成し「ロンリーハート」の大ヒットにより、またもやシーンの第一線に返り咲くことになった。
このときのメンバー
ジョン・アンダーソン(vo)
クリス・スクワイヤ(b)
アラン・ホワイト(ds)
トニー・ケイ(key)
トレバー・ラビン(g)

このメンバーでの作品は、80年代という時代にうまく乗ったサウンドで、若いファンから絶大なる支持を得たが、あまりにポップ化が過ぎてプログレとは言いがたい作品だった。
そこで昔からのファンの要望に応えるようなバンドが登場する。
それがABWHだ。

ABWHとは「アンダーソン、ウェイクマン、ブラッフォード、ハウ」の略で、かつて「こわれもの」や「危機」といった歴史的名盤を作り上げたメンバーが中心である。
ジョン・アンダーソン(vo) 元イエス
リック・ウェイクマン(key) 元イエス
ビル・ブラッフォード(ds) 元イエス
スティーブ・ハウ(g) 元イエス
トニー・レビン(b) 元キングクリムゾン

ベース以外、全員がイエスの全盛期を支えたメンバーで、ライブで演奏する曲もイエスの代表曲が多い。
この、事実上のイエスは、バンド名の使用権をめぐって裁判沙汰になる。
その後、この事実上イエスは、本家イエスと合流し、大所帯バンドになることで収まったようだ。


「キング・クリムゾンと21センチュリー・スキゾイド・バンド」

プログレッシブ・ロックの重鎮キング・クリムゾンは、やはりメンバー・チェンジの激しいバンドで、リーダーのロバート・フリップ以外全員入れ替わるなんてこともある。
そして、常に前のみを見つめるバンド姿勢により、過去の名曲郡がライブで演奏されることはほとんどない。
ここ30年以上、彼らの曲でもっとも有名な「21センチュリー・スキゾイド・マン」や「クリムゾン・キングの宮殿」「エピタフ」などがライブで演奏されることは一部例外を除いて、ない。

そこで、これらを聴きたいファンのため、これら名曲を後世に残すために結成されたのが「21センチュリー・スキゾイド・バンド」だ。
メンバーはイアン・マクドナルド、マイケル・ジャイルズ、メル・コリンズなど、初期クリムゾンを支えた連中で、このメンバーで初期の名曲を生で聴くことが出来ると期待したファンは多かった。
その後、やはり元メンバーであるイアン・ウォレスも加入し、益々本家よりも本家らしい体裁になってきたが、いかにも「集金ツアー」みたいなライブが仇をなしたのと、イアン・ウォレスの死により活動休止中。


「ブラック・サバスとヘヴン・アンド・ヘル」

ヘヴィ・メタル界の重鎮ブラック・サバスは、80年以降ボーカリストの出入りが激しくなり、97年のリユニオンでオジー・オズボーンが復帰するまで不安定だった。
この不安定期、もっとも人気を得たボーカリストは、元エルフ、レインボーのロニー・ジェイムズ・ディオである。
彼の参加した「ヘヴン・アンド・ヘル」「モブ・ルールス」はヘヴィ・メタル史上に残る名盤とされ、今も人気が高い。

2006年、レコード会社の意向により、ロニー期のベスト・アルバムが作られるのだが、ボーナストラックとして新曲が録音されることになる。
このとき集まった元サバスのメンバーは、このままツアーを行うことになるのだが、本家サバスとの混同を避けるため、ヘヴン・アンド・ヘルというバンド名で活動することになる。
ツアー後、このメンバーで新譜も作られるが、ロニーの死により活動は停止した。


「EL&パーマーとEL&パウエル」

80年代、イエスやエイジア、ジェネシスなどプログレ畑のバンドが大成功しているのを横目に、キース・エマーソンとグレッグ・レイクはEL&Pの再結成をもくろむ。
「E」と「L」が揃えば、次は「P」ということで、カール・パーマーに声をかけるが、エイジアで世界的なヒットを飛ばしている真っ最中であることから加入を断られる。
そこで代わりに加入したのが、イニシャルが同じ「P」のコージー・パウエルだ。
では、このバンドはEL&Pなのか?というと、そうではない。
カール・パーマーが(自分の勝手で参加しなかったのに)、それを認めなかったからである。
ライブで演奏されるのは、彼らの新曲と、70年代のEL&Pの曲で、地に足のついたヘヴィなリズムは聞いていて心地よく、やはり事実上これはEL&Pだった。
だが、常に一つのバンドに定着しないコージーは、このあと再びヘビメタの正解に戻り、解散となる。


「UFOとモグ/ウェイ」

ブリティッシュ・ハード・ロックを代表するバンドの一つ、UFO。
彼らもまたメンバー・シェンジの激しいバンドだ。
もっとも勢いがあり、大成功を収めていたのは、70年代のマイケル・シェンカー在籍時である。
脱退後、アルバムの質は高いもののそれがセールスに結びつかず、低空飛行を続けるのだが、起死回生を願って70年代のメンバーでリユニオンされるに至る。
フィル・モグとマイケルは音楽的相性は抜群なのに、人間的相性が最悪のため、やはりうまくはいかなかったようだ。
結局、マイケル抜きで活動を続けることを決めたフィルだが、このときUFOのバンド名はマイケルなしでは使えないとされてしまう。
苦肉の策で、デビュー時からの中心メンバーであるフィルとピート・ウェイの名前を並べた「モグ/ウェイ」という、なんとも味のないバンド名になってしまったのだった。
その後バンド名の使用権を勝ち取り、この歴史ある名前を使えるようになったようだ。

モグ/ウェイによるUFOの名曲「マザー・メアリー」。
メンバーはモグ、ウェイの他、エインズレイ・ダンバー(ds)、ジョージ・ベラス(g)
おそらくMSGが演奏しないUFOの曲ということで、これなのだろう。

「アラン・ホールズワース」

82年か83年頃のことだ。
当時愛読していた「ギターマガジン」のライターで、やたらと海外のマイナーなギタリストばかりを褒めちぎる人がいた。
そして日本人ギタリストや、日本で人気のギタリストに対しては辛口な評価だった。
たしか伊藤ナントカいう人だったと思う。
ちょうどその頃、アラン・ホールズワースが日本で話題になり、ギターマガジンでも取り上げられたのだが、ここでも伊藤ナントカは偉そうな記事を上から目線で書いていた。
「僕なんかはデビュー当時から彼に注目していたわけで、そのテクニックに裏付けられた優れたメロディセンスは、泣きたくなるほど悲しい曲、酒なしに聴けぬ曲、思わず小躍りしてしまう楽しい楽曲など、バラエティに富んでいる。海外ではとっくに人気沸騰中なのに、ここ日本ときたらようやく話題に上がるといった状況で、相変わらずくだらないギタリストばかりが人気者だ。だから日本はダメなんだ。」
その頃は私も無知で、アラホってそんなに海外では大人気で、知らないのは日本人だけなのか?なんて思ったりもした。

今現在、私はソフトマシーン、UK、ブラッフォード、彼の初期のソロアルバムなどを聴き、アラホの音楽は多少わかってきたつもりだ。
少なくとも、日本で話題になり始めた80年代初期頃までに発売されたアルバムで聞ける彼のプレイスタイルはなんとなくわかる。
そして海外での彼の評価も多少はわかった。

今ならいえる。
伊藤ナントカは適当なことを書いていたんだと思う。
アラホのギターのどこにも優れたメロディセンスなどなく、ましてや「泣きたくなるほど悲しい」「酒なしに聴けぬ」「思わず小躍りする」フレーズなどあるはずがなかった。
海外で人気沸騰したことなど一度もなく、せいぜいエディ・ヴァン・ヘイレンが影響を受けたといったときだけ話題になっただけだ。

まあ、人には感じかたはいろいろあるので、この人にとって、アラホのウネウネフレーズで涙を流したり踊ったりするのかもしれないが…。


「欧州車」

私は90年代の一時期、自動車雑誌をよく読んでいた。
お気に入りは「NAVI」という雑誌で、輸入車と国産車、車と社会、最新ファッション、左よりの政治思想など、一風変わった内容だった。
ここに登場する自動車評論家という人たちは、総じて輸入車贔屓で、国産車には辛口だったと思う。
とくに「間違いだらけのクルマ選び」で有名な徳大寺有恒氏あたりは、日本のユーザーやクルマ社会、メーカーに対して辛口な内容が多かった。
やはり無知な私は、「そうなんだ」と思い、輸入車ばかりに興味がいってしまうのだが。

たしかに、昭和の頃、日本車というのは欧州、とくにドイツ車と比較していろいろな点で劣っていたのかもしれない。
それに対して、メーカーは相当な努力をし、時代が平成に変わる頃には立派に欧州車と肩を並べるレベルになり、アメリカ車を駆逐しては貿易摩擦の原因となった。

私が実に滑稽に感じた本がある。
「本音のクルマ選び」というもので、主な執筆者は両角ナントカという人だ。
とにかく「そこまで書くか?」というほど国産車を酷評し、やたら欧州車を褒めちぎる人で、もはやネタとして読むようなものだった。
いくらなんでも極端すぎて、どのページの行間からも「だから日本はダメなんだ」という言葉が滲み出てくる内容である。

ちなみにこの本でメチャクチャ高い評価だったのは、ドイツのフォルクスワーゲン・ゴルフと、その姉妹車ヴェントである。
ご存知の方も多いと思うが、私は3年前までヴェントに乗っていた。
それも10年10万キロ以上。
だからいえる。
国産車は決してドイツ車に負けてなどいないし、どれを選んでも多少の好き嫌いはあれ、間違いなどない。


「箱根アフロティーデ」

1971年8月、箱根にて大規模野外ロックフェスティバルが開催された。
箱根アフロティーデという。
もちろん私は行っていない。
このことを知ったのは、12年ほど前のビートレグ誌で、その詳細が記されていた。
とくに話題になったのはピンクフロイドの出演で、このため多くのロックファンがこの日、箱根を訪れたようだ。

このフェス自体は大成功で、日本でもウッドストックやワイト島フェスみたいな本格ロックフェスが実現したと、当時のロックファンは喜んだらしい。

では、これを取り上げた雑誌記事はどうだったのだろうか?

ビートレグ誌によると、「暴動もハプニングもないつまらないフェス」とか「ロックなのに大人しい観客」など「だから日本はダメなんだ」みたいな記事が多かったらしい。

常識的に考えて、フェスが上手く進行し、暴動のような事件がおこらないのは素晴らしいことだ。
ロックだから怒りの衝動が抑えきれずブチ切れる人がいなければならない、なんて考えのほうが異常だ。
例えば、ローリング・ストーンズの「オルタモントの悲劇」のようなものは、明らかにフェスとして失敗であり、見るほうも演るほうも危険である。

結局、やたらと「だから日本はダメなんだ」というのは、大して日本も海外も知らない人間のいうことなのだ。

私は大の音楽好きだが、その音楽を奏でるアーティスト本人については、あまり興味がないことが多い。

せいぜい、そのアーティストの生い立ちや音楽的バックボーン、アルバムを作ったのなら、そのコンセプトなんかを軽く知ってみたいだけだ。

例えば、私はライブに行っても、アーティストグッズなどを買ったことがない。
T-シャツなども買ったことがない。
元来ドケチな私であるが、ケチだから買わないのではなく、興味がないから買わないのだ。

これは今に始まったことではなく、元々そうだった。
十代の頃でも、好きなアーティストのポスターとか、部屋に貼ったことがない。
レコード屋で初回特典でポスターやステッカーがもらえることになっていても、断ったり、あるいはもらっても人にあげたりしていた。

実をいうと、本人のサインや、ギタリストのピック、ドラマーのスティックとかも、あまり有り難味がわからない。

この場合、私の好きなアーティストは同性が多いからだろうか?
異性の場合であっても、たぶん同じだと思う。

私の好きなマドンナや、ウィズイン・テンプテーションのシャロン・デン・アデルであっても、そのサインもポスターも欲しいとは思わない。
握手してくれるなら握手するが、それもそんなに特別なことでもないように感じる。
極端なことを言えば、その女性歌手とセックスしたいとも思わない。

ただ、もしそのアーティストと友人になれるのであれば、是非なりたいとは思う。
常識的に考えて120パーセントそんなことはありえないのだが、いい友人として音楽やギターの話をしてみたい。
そして一緒にセッションなんかを楽しみたい、とは思う。
この場合、スターだから、とかヒーローだから、というのではなく、あくまでも友人として楽しみたいと思う。

アイドルの場合はどうか?

残念ながら私は女性アイドルに夢中になったことはなく、当然ポスターもサインも雑誌の切り抜きもない。
異性として、この人は好みだ、と思うことはあっても、実際に恋人になれるわけはないし、そんなバカな夢はみない。
もし、自分好みのアイドルがCDを買ったら握手してくれる、というAKB48みたいなことがあった場合でも、その音楽に興味がなければ買わない。
それが音楽的に自分の琴線に触れるものだった場合、そのCDを買うかもしれないが、わざわざ会場へ出かけて、行列に並んで握手したいとは思わない。
そんなことをしても意味がないからだ。

冷めてる?

いいえ、ただの音楽好きです(笑)

3月28日、マイケル・シェンカーの名古屋公演を見てきた。
3月末とは思えぬ寒空だったが、会場の熱気はまさに灼熱であり、太陽の爆発のような凄まじい夜だった。

・ライブ・レポート

会場は新栄のダイヤモンド・ホールで、ここ何年かのマイケルのライブはここで行われている。
私が前回ここでマイケルを見たのは、2006年11月14日で、その後また来日しているのだが、ボーカルがゲイリー・バーデンだったのでスルーした。
その2006年のときは、会場の後ろのほうでのんびりと見ていたのだが、今回は前の方で見れそうなので気合が入る。
開場と同時にステージ向かって右側、そうマイケルの真正面に陣取り、登場を待つのだった。

ここで少し機材について気づいたことを書いてみよう。
マイケル用のマイクスタンドの下側にはコンパクトエフェクターが4つ並んでおり、向かって左側の2つはボス製と思われた。
一番左側のエフェクトは黄色で、オーバードライブなどの歪系か?その隣の白色のはツマミが4つ並んでいてデジタル・ディレイと思われた。
あとの二つは不明だが、コーラスかフランジャーだと思う。
それとは別にペダルが3つ。
このうち2つはボリュームペダルで、もう一つはワウだろう。
アンプはマーシャルの3段積が3セット。
向かって右側の2セットにはマイクが設置されていたが、左の1セットにはなかったので予備なのかもしれない。

ほぼ時間通りに開場が暗転し、ライブがスタート。
1曲目は「イン・トゥ・ジ・アリーナ」だ。
出だしから開場は一気にレッドゾーンに突入し、割れんばかりの声援が送られる。
以前よりスリムになったマイケルはキャップを逆にかぶり、青い目を輝かせて楽しそうにギターを弾き、もう数え切れないほど聴き、練習したフレーズが次々と放たれた。
今回は位置的にしっかり指使いを見ることができたのは良かった。
次の「アームド・アンド・レディ」でもしっかり見学できて、収穫は大きい。

そして今回のツアーの目玉であるスコーピオンズ・ナンバーが2曲演奏される。
私はこのメンバーでスコーピオンズを聴きたい、とは積極的には思わないのだが、かなりレアなことであるのは間違いないので、しっかり楽しむことにしよう。
ステンドグラス風のギターで自身が参加したアルバムからの曲を披露する。

続いて、再び白黒ギターに持ち替えて演奏されたのは、昨年発表された新曲だ。
ボーカルのマイケル・ヴォスが張り切って歌う。
私のいるポジションだと、かなり音響バランスが悪く、ボーカルが聴き取りにくいのだが、テンションの高さは充分伝わった。
今回のライブでは、新曲やスコーピオンズの曲であってもテンションが下がることなく、盛り上がりっぱなしだったので、さぞかしバンド側も気分が良かったことだろう。

ライブは中盤に差し掛かる。
今度は名盤「UFOライブ」のジャケをモチーフにしたようなギターに持ち替え、怒涛の連続UFO大会がスタートだ。
開場の誰もが知っているUFOクラシックが次々と演奏される。
これは凄い。
開始直後からヒートアップしっぱなしだった会場だが、全く休ませてはくれない。
それどころか、さらにボルテージがアップし、全身から汗が噴出す。
ダークでハードな名曲「ライツアウト」で一旦終了した。

アンコール1曲目は再びスコーピオンズから「ハリケーン」。
ヴォスのギターの上手さに驚きながら、続いてUFO初期の名曲「ロック・ボトム」。
この曲の登場を待っていたファンも多いことだろう、私もその一人だ。
中間部の長いギターソロ、それまで大暴れだったファンも、固唾を飲んでギターの旋律に聞き入る。
ここでの音色の美しさは言葉に言い表せないほどで、華麗にそしてテクニカルに、後半になるとそこへ激しさが加わった。

2回目のアンコール、まずは「ブラック・アウト」、そして定番の「ドクター・ドクター」へ。
シャッフルのリズムで会場全体がリズムに刻まれ、大合唱が始まる。
ライブでは珍しく、スタジオバージョンの歌詞「Doctor doctor, please Oh, the mess I'm in」と歌われる。
そして炎のようなライブは終了したのだった。


・所感

今回のツアーは地域別にメンバーが異なり、とくにボーカリストが交代するのは珍しい。
そのため、セットリストも地域ごとに異なり、今月初めまで行われたアメリカツアーの内容とはかなり異なる。
とくに印象的だったのは、MSGの曲が少ないことだ。
MSG4曲、スコーピオンズ4曲、UFO8曲で、私からすればかなり美味しいセットだった。
このような極端なセットだと、不満に感じた人もいたかもしれないが、会場の熱気を見ると皆存分に楽しんだようで何よりである。
マイケルのプレイは非常に安定していて、安心して聞くことが出来た。
同世代のギタリストたちが年齢と共に劣化していくのに対して、彼はデビュー時の年齢が低かったことと個人の努力により、まだまだ現役だ。
というより、テクニック的には70年代、80年代を超えているだろう。
バンドメンバーも飛びぬけてはいないものの、地に足の着いた演奏で、しっかりバックを支えていた。


・オフ会

この手のライブに行く楽しみは、もちろん目当てのアーティストが一番なのだが、もう一つ大きな楽しみは日ごろ会うことがないネット上での友人たちだ。

まず、ライブに誘っていただき、チケットをゲットしてくれたpicoさんに感謝。
本当にいいポジションで見ることが出来た。
以前にもダークトランクィリティのライブのチケットをゆずってくれたときも、整理番号一桁で、間近でライブを見る楽しさを教えてくれた。
そしてウェイン・フィンドレイのピックまでいただきありがとうございました。
前、エイジアのときはライブ後、一緒に出待ちをして、無事ジェフ・ダウンズのサインをゲットしたのだが、今回はヴォスのサインをいただけたようで何よりです。

ライブ前には以前からの友人であるきりんさんとギター談義。
彼ともよく一緒にライブに行っている。
ざっと思い出すだけでも、スコーピオンズ、キッス、アイアン・メイデン、前回のマイケル・シェンカー、ホワイトスネイク…など。
最近はあまりギターに触れていないようだが、また一緒にロックしたいものだ。
アコギ・デュオでもOK、こちらはライブ目標でやりましょう。

そして、筋金入りのマイケル・ファンの面々。
関東からお出でのmicha*さん、関西からお出でのおすぎさん、名古屋在住のnakaさんと彼の友人。
ライブ後に名駅近くの居酒屋でライブの余韻を楽しんだ。
おすぎさんとは以前、大阪のジューダス・プリーストのライブで顔を会わせているが、他の方は初対面だった。
味噌おでんをいただきながら、私のような浅いファンではついていけない熱い語りに耳を傾け、ライブの楽しさを再確認したのだった。
また是非お会いしたい方ばかりだった。

(set list)

1.Into the Arena
2.Armed and Ready
3.Love Drive
4.Another Piece of Meat
5.Hangin' On
6.On And On
7.Shoot Shoot
8.Too Hot To Handle
9.Love to Love
10.Let It Roll
11.Natural Thing
12.Lights Out
   (Encore)
13.Rock You Like A Hurricane
14.Rock Bottom
 (Encore)
15.Blackout
16.Doctor Doctor
 

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